宮川香山

宮川香山  褐釉蟹貼付台付鉢 BSプレミアム 

先日、宮川香山と伊藤若冲の特集をBSプレミアムで続けて放送していました。
若冲の特集はまだ見ていないのですが、宮川香山の番組をみまして。

うーーーん、やっぱりすごすぎる・・・。
有名な作品は以前から知っていましたが、いざじっくり見ると
あまりにリアルで、実物と見間違わんばかりです。
香山の作品は生きていそうな蟹や、今にも羽ばたきそうな鳥が器に張り付いていて
工芸品の粋を超えています。
一言で表現できなくて困りますが、超絶工芸と言われるその作品は
とにかく人間技とは思えず、本当に驚かされます。

長谷川等伯の作品を見たときにも思いましたが、
ものを造るときの姿勢に、ある種の執念を感じます。
今より不便なことも多い中で、あれだけの作品を造れる才能と観察力、そして忍耐力。
ただ、ただ、尊敬ですね。

次回、正阿弥勝義の特集もあるみたいなので楽しみにしています。
その前に若冲だな・・。


宮川香山(みやがわ こうざん)
明治時代の日本を代表する陶工。高浮彫、真葛焼きの創始者。
天保13年京都の真葛原に生まれた。
父と兄が亡くなり陶工の家を継ぐと父が生前朝廷用の茶器を制作し「香山」の称号を受けていたため、
初代香山の名を名乗り父の得意とした色絵陶器や磁器などを制作。
その腕は評判を呼び、幕府から御所献納の品を依頼されるまでになった。
明治3年(1870年)29歳の時、薩摩の御用商人梅田半之助、実業家鈴木保兵衛らに招聘され
翌年、横浜に輸出向けの陶磁器を作る工房・真葛釜を開いた。
その後、香山は新しい技法を生み出す。「高浮彫(たかうきぼり)」。
金で表面を盛り上げる薩摩焼の技法を精密な彫刻を掘り込むことで表現し
薩摩焼の技法に変わる新しい表現方法を確立。
明治9年(1876年)35歳の時、高浮彫で作られた真葛焼きはフィラデルフィア万国博覧会に出品されると
多くの国に絶賛され真葛焼きと宮川香山の名を世界に知らしめた。
大正5年(1916年)死去。享年75。(Wikipedia抜粋)

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